読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

社会不適合者の独り言

2016/7/22に自殺を図ってからの徒然を書く日記

9月12日

今日から日記をつける。自分自信に迷いがあるのと、愚かな自殺未遂による、この入院生活のことを忘れないために。既に福島とこの病院のことを忘れつつある。これではいけない。

 自殺を図った一番の原因は「仕事に対するストレス」と「仕事だけでなく何もできない自分への苛立ち」

 例えばお金をおろしに行った出先でご飯を食べてしまい持ち合わせがない、自転車の鍵をどこにやったかすぐに忘れてしまう、等々。

 俺は7月22日に計画通り名古屋を経由して山形は米沢に行き、米沢牛を食べた。その後自殺する建物を探したが米沢では見つからず、福島まで戻ることにした。行きの新幹線で米沢よりは栄えていることを見ていたからだ。
俺は山形駅まで戻り福島行きの切符を買い、福島行きの電車に乗った。が、そこから記憶がない。

次に意識がはっきりと戻ったのは福島のベッドの上だった。既に4日経っている。それまでの3日間の記憶もないことはないが、夢の中では働いて、目が覚めたら病室だったからどっちが現実か判断できない状態だった。地獄にでも落ちたのかと思った。そんな状態だから「お名前は?」「松木稜平です。」「ここがどこだか分かりますか?」「分からないです。」「◯◯ですよ。」「えぇ?」となった。俺は山形に行ったのに何故福島の病院にいるか、理解できなかった。何が起こったのかは、日を追う毎に判明した。

どうやら8階建てのマンションから飛び降り、その時の音に気付いた住民が通報、偶然にも医師がおり応急処置をしている間に救急車が来たそうだ。救急隊員に自分の名前や電話番号、勤めている会社などを話したそうだが、これも全く覚えていない。病院に着き処置し、そのまま入院したそうだ。
骨盤と両脚、右腕が骨折。特に骨盤は酷かったようだ。
実家の電話番号も伝えていたため両親も来た。おかんに関しては、福島のホテルに泊まり毎日のように見舞いに来てくれた。

福島ではあまり食欲がなかったかな。よくご飯を残していた。あと広瀬すず似の看護師さんがいた。今年から働き始めているそうだ。
何も暇つぶしのアイテムがなかったからテレビをよく観ていた。おかんと何が何チャンネルなのか探り探りチャンネルを変えた。

担当の先生には本当にお世話になったそうだ。転院先の神戸の病院を見つけ、交渉してくれたし、移動手段もヘリや飛行機、自衛隊にまで連絡を取ってくれたそうだ。転院の日も付き添ってくれた。退院したら元気な写真を添えてお礼の手紙を書きたい。

転院の日はバタバタだった。ストレッチャーが乗る車に乗せられて仙台空港まで移動。そこから飛行機に移る。飛行機の座席と荷物を入れるところとの間の空間に乗せられた。スピッツのダイジェストラジオを聴きながらだった。

伊丹空港に着くと病院の方々が迎えてくれ、救急車へと移動。意外と快適だった気がする。

病院に着くとまたレントゲンやらなんやら検査を受け、ICU室へと移動。最初通り道みたいなところに放置されたけど角部屋へ移動。
おとんとちょっとだけぶっちゃけた話をした。いつか二人で飲みに行く。そんな話もした。

明けて8/2、骨盤の手術。
おかんから「麻酔がかかってるから痛みなんてない」みたいなことを言われ、俺も手術なんてしたことないから目が覚めたら元どおり、を期待していたが実際は違った。麻酔が解けて目が覚めたら「痛くないって言ったやんかー!」みたいなこと叫んでたはず。あと「今は何月何日や!」みたいなことも、夢やと思いたかったんやろうなぁ。そしてご両親のご登場。完全に現実です。おとんに手を握られながら落ち着かせられたあと、最後に「自殺やねん。ごめんなさい」と告白。おとんの目に涙を浮かせてしまった。